「博多」という地名は、今でこそ福岡市の行政区の一つとなっていますが、その歴史は古くその名前が初めて歴史に登場するのは、続日本記に797年(延歴16年)に博多津(博多大津)と記されています。
さらに言うならば、この地には2000年以上に前に、奴国(なのくに)という都市国家が存在していたという説があります。
ゆえに、一説によると博多港は日本最古の港(湊)と言われています。
一方、「福岡」という地名は、福岡藩の領主となった黒田長政が1601年(慶長6年)に、現在の地下鉄赤坂駅の西側に城を築き、その町の名前を「福岡」と命名したのが始まりとされています。
ちなみに、その地名は黒田氏の父祖の地である備前国(岡山県瀬戸内市長船町福岡)から名前を取ったと言われています。
こうして福岡市の中心部を流れる那珂川を境にして、西側が「武士の町・福岡」、「東側が商人の町・博多」という住み分けが出来ました。
明治時代に入ると1871年(明治4年)の廃藩置県によって、福岡藩は福岡県と改められました。
その2年後には、「市制及び町村制」の交付が行われますが、市名を「福岡市」するか「博多市」にするか大論争が起きました。
初めは、「博多市」が優勢だったのですが、議会による投票は同数で、最終的には福岡出身の議長による裁決で「福岡市」に決定しました。
しかし、これでは博多の商人たちのプライドが許さずに、駅名を「博多駅」とすることで決着がつきました。
その後も「市名を博多市に変更すべき」という論争は続きました。
考えてみれば、福岡市の文化は伝統工芸なら「博多織」や「博多人形」、お祭りなら「博多山笠」や「博多どんたく」等々・・・
福岡と名のつくものは、ほとんどが明治以降に入ってからのものですね。
全国で、「福岡」と「博多」の違いを明確に答えられる人は、多くはありません。
地元の人でさえ、この使い分けはあいまいです。
全国放送のテレビ番組では「福岡県博多市」と間違ったテロップが流れることが、しばしばあるそうです。